視点・焦点・論点

第11号 令和2(2020)年5月22日

「持続可能社会」に向け「経済社会」をリードする「科学技術」の復権をめざして

本論文は平成23(2011)年10月 日本技術士会主催の日中科学シンポジムで発表した論文です。
2015年国連総会で採決されたSDGsの目標と合致するものです。

はじめに
 現下の先進諸国においては、ともすると「経済社会」の下部構造化している一面もある「科学技術」が、社会的位置付けを再び取り戻し、世界人類が直面している「持続可能社会」の形成にむけて、その役割を果たす時期が再来している。歴史上からみて、18世紀初頭のイギリスに始まる産業革命以降において、科学技術の発明がヨーロッパに社会革命をもたらし、その後の帝国主義・市場主義の拡大期は、確かに科学技術が世界をリードした時代であった*1。しかし、19~20世紀を通じ、産業の発展は、大量生産、大量消費という経済至上主義を拡大させ、その延長線上に、地球環境問題、人口問題、食糧問題、資源問題等、人類の生存に係る種々の重大問題を生み出すことになり、現在に至っている。ここに人類共通の取組むべき問題点・課題として「持続可能社会(サステナブル・ソサイエティ)」が唱えられるに至った。
 本論文では、持続可能社会を創り上げていくための個別の分野での技術提案をするのではなく、ともすると「市場経済」の下部構造としてとらえられがちな「科学技術」を、再び持続可能な新しい社会構造改革のためのリード役として復権させる必要性について論述するものである。

1.「持続可能社会」が呼ばれるようになった現在的問題点・課題
 1972年6月の国連人間環境会議で採択されたストックホルム宣言の後、1992年6月の国連環境開発会議のリオ宣言では、「持続可能な開発」が打ち出され、人類共通の課題である地球環境の課題等について話し合われた*2
 これらの会議は、すでに人類社会が生産し、また消費する活動が地球の許容容量の限界に近づきつつあることを予見したものであり、1972年発表されたローマ・クラブによるレポート「成長の限界」と流れを一つにするものである。そして、単に人間の物質欲に従って生産し、市場経済を推し進めることに警鐘を鳴らし、地球規模での環境問題、資源問題、南北問題の拡大に歯止めをかけることを世界にうったえかけた。

2.科学技術の発展と経済社会の発展がもたらしたもの
 ところで、上記のような問題の発生の原因は何であろうか。確かに科学技術の発展と経済社会の発展は互いに二人三脚の関係にあり、それはすでに見てきたように産業革命以降の世界史の流れをみてもよく理解できる。
 ところが、近代から現代にかけて、そのバランスのくずれ現象が顕著に露呈してきた。この現象は一般に、ある一定レベルの処理技術しか持たない科学技術を基盤に、人間の欲望に従って最大の市場経済活動を行った時、そこに大きな社会のひずみが生まれることを示している。
 また、ある一定レベルの限界を持つ科学技術をそれ以上のものとして過信して利用適用したことによって、そこに大きな社会的ひずみが生まれることを示している。
 産業革命後の近代社会・現代社会の行きついた先に、また物質中心主義の行きついた先に、人類生存上の壁に突き当り、この「持続可能性」という言葉が大きく立ちふさがってきたのである。
 ここで上記の社会的ひずみについて、最近の日本の事例から2つ取り上げて詳しく見てみる。
 1つ目の事例は、平成23年3月に発生した福島第1原子力発電事故である。これは、日本の原子力政策に乗っとって、電力会社が沸騰水型原子炉を採用したものであり、経済性への配慮に重点を置き、設計技術者の意見を十分に取り上げなかったことにより発生した事故との指摘がある*3
 2つ目の事例は、やはり平成23年3月に発生した東日本大震災の地震被害である。これは過去に数十年おきに何回もみまわれている東北地方三陸海岸沿いの地震津波に対して強固な防潮提をつくったものの、それ以上の津波が押しよせたため被害に合い、人命や財産を失った事例であり、人聞の技術過信によってひきおこされた事例である。
 これらの事例は前者は、主に「技術重要性よりも経済合理性」を重視したことにより起ったものであり、後者は主に「技術過信が自然力の前に粉砕」されたものである。
 これらの事例を検証する時、為政者や科学技術者の意識改革も含めて、改めて人間中心主義に根ざした「科学技術」への認識の再重視が必要になる。

▼持続可能社会の構図


3.新しい価値観・幸福論の模索と科学技術の復権
 持続可能な社会は、今までの先進国が描いてきた人類の価値観と幸福論の延長線上に構築されるものであるのかどうかということに対しては疑問は残る。
 つまり、GDPの拡大、資源の大量消費、大量生産という経済至上主義の構図の中で、たとえ、そのスピードを遅めたり、生産の効率性や省エネルギー性をあげるだけでは持続可能な社会はそのままでは達成できない。
 すでに経済至上主義に疑問を呈する学者も現れてきている。ここに、人類が平和かつ幸福に生き延びるための新しい価値観や幸福論の構築と、その内容を具体化する科学技術が求められる。
 具体的には、環境共生技術、都市と農山漁村を結びつけ調和させる計画技術、水環境技術、自然エネルギー技術、食の安全と食糧確保技術等であり、ここに再び科学技術者の出番があり、人類社会もそれを要望しつつある。
 まさに21世紀中頭に向けての科学技術者が主役になる「新産業革命」ということができる。
 換言すれば、人類の持続的生存がテーマになっている現在、「科学技術」が「経済社会」を再びリードする時代がやってきているのであり、技術者はそれを認識しる必要がある。

4.最後に―日本の果たす役割―
 持続可能な社会は人類の生存にとって解決しなければならない最重点課題である。そして、ここに日本の役割、日本の科学技術者の果たす役割がきわめて大きいといえる。持続可能な社会に向けての環境共生技術は、実は地理的、地勢的、歴史的にみて、日本人の遺伝子の中に組み込まれているといっても過言ではない。
 その理由は、日本人は37万km2という狭い国土のさらに3割の土地に約1億3千万人の人口が住み、世界第3位のGDPを生み出してきたことに見い出せる。つまり、狭い国土にこれだけの人口を擁し、生産活動を行えるのは、優れた環境共生技術と哲学を持っているがゆえ可能と言える。具体的には、日本の国土は、緑の森林とその間を流れる川のそばにシェルター(居住地)をつくり、四季折々の自然の変化に自分達の生活を順応させることによって、人々の幸福と社会の安定を得ることができた。そして、環境共生技術をこれらの活動の中でおのずと身につけてきたのである。
 一方、古代のエジプトやメソポタミア文明を振り返ってもわかるように、ナイル川やチグリス・ユーフラテス川の河川の氾濫をコントロールし、砂漠にピラミッドを建設し、居住空間を建設するには、自然は、人聞が対峠しいどむべき相手であった。そこには、環境は共生するものではなく、挑戦する相手としての捉え方があったのである。
 日本人の歴史的精神的風土の中には「和」の精神が脈々と流れており、それは科学技術者の世界においても、自然環境との「調和」として時々に表出される。具体的には、四季の変化に対応した日本の住居の作り方、省エネルギー技術、水利用技術、食文化技術はまさに日本人技術者の持つ優れた特質である。環境問題がグローバル化し、地球規模で取組んでいく必要にせまられている今、改めて持続可能な世界人類社会の形成に向けて、日本人及び日本人技術者の活躍が期待される。

摘要
●持続可能社会が呼ばれるようになったのは、産業革命以降の経済至上主義に原因している。
●人類は新しい価値観や幸福論に基づいて、「科学技術」が「経済社会」をリードする「新産業革命」期を迎えなければならない。
●限られた狭い国土という枠の中で環境共生技術を「和」の精神を基本に身につけてきた日本人・日本の技術者は、限られた小さな地球という枠の中で、持続可能な世界社会を形成していくリーダーになれる素養を持っている。

*1「社会人のための世界史」東京法令出版
*2 EIネット環境用語集
*3「東京電力株式会社福島第一原子力発電所について」経済産業省ホームページ