視点・焦点・論点

第10号 令和元(2019)年9月19日

技術立国日本の再構築

以下の論文は、日本技術士会第39回全国大会で筆者が発表したものです。
「技術立国日本」を強化していく必要性を強く感じて発表したものです。

1 科学と技術の区分
一般に「科学技術」と一言で言われる場合が多いが、「科学」と「技術」は、その本質からみると大きく異なることを再認識しておく必要がある。前者は、自然科学や社会科学の世界で生まれる発明や発見、または大学や各種機関等での研究活動をベースにするものであり、後者はものの生産や施設等の操作・運用の管理にかかる知識・ノウハウ等である。
 上記の説明の仕方には、やや荒っぽさがあるが、「科学者」に対する「技術者」として対比的にとらえた場合、技術者は自己の技術を磨き向上させて、「熟練工」あるいは「匠」として完成度を高めていく。そして、技(わざ)のある熟練技術者は、例えば一例として、肉眼で見た色で溶鉱炉内の溶けた鉄の温度がわかり、又、試作車をハンマーでたたいた音やエンジン音で、自動車のどこが悪いかを見分けることが出来る。歴史的にみて、このような技術者を多く輩出してきた我が国ではあるが、「技能五輪国際大会」で我が国の参加者がベトナム等のアジア諸国の技術者に優勝の座をわたしてしまったというニュース等を見るにつけ、技術立国日本の将来への不安が頭をよぎる。

2 技術力低下の要因
「世代を繋ぐ」とは技術継承としてのテーマであるが、問題はこの表現よりもっと深いところにあり、「技術」が先達者から後続者にうまく伝達・伝承されていないこと、歴史的にみて日本社会自体が、そのことを総じてなおぎりにしてきたことが指摘できる。生活水準の向上によって、3Kをきらう若者等が、又、技術を「つくり出す人」から、それによって生産するものを「つかう人=あやつる人」に行動が移行する過程において、大人達はそれを単純な若者社会の流れ・時代の潮流として看過してきたきらいがある。本来、熟練技術者になるには、「忍耐力」「継続力」「向上心」等が必要不可欠であるが、単に「つかう人=あやつる人」という言葉からはそれは生まれない。運転技術の未熟さによる鉄道事故、日本製自動車のリコール問題、生産過程での異物混入による食品の回収問題、更には、原子力発電所の想定外の事故等々、我が国の技術力向上と技術者養成は更なる必要性にせまられている。

3 技術立国日本の再構築
東大阪市の中小企業のまちの経営者がスクラムを組んで人工衛星「まいど1号」を製作したことが話題になった。筆者は以前、ある会合で㈱アオキの青木社長にお話する機会があった時「まいど1号の製作者グループは年輩の人が多いですね!」と少し皮肉をこめて聞いた事がある。返答は「でもこの事が話題になって、国立大学の優秀な卒業生も社員募集に応募して来てくれるようになった!」という話であった。その後、東大阪市にはJAXAの支所(関西サテライトオフィス)が出来たが、それよりも、青木さんの言葉に「まいど1号プロジェクトは東大阪にとって成功だった」と筆者は強く感じた。
 子供の時から、ものづくりの面白さを味わう体験を持たせ、また教育課程を通じて技術の意義や重要性を感じてもらい、そして、社会的評価(給与や地位を含む)を高める努力の中で、日本を技術立国に再構築していく責任はむしろ、大人世代にあり、そのことを通じて「世代を繋ぐ」ことが大事だと考える。