視点・焦点・論点

第4号 令和元(2019)年5月21日

講演会「泉州づくりあれこれ」

※この講演は、関西国際空港が開港して数年後、国際空港をかかえるおひざもと(臨空都市圏内)の自治体が協力して目指すべき将来圏域像についてお話した内容です。少し前のお話ですが、今も通用すると思い掲載しました。

泉州キワニスクラブ講演会
平成13年10月9日(火)
南海サウスタワーホテル大阪

 

(1)「自給自足経済」と「歴史の重み」と「国土軸からの距離」が発展の遅れ原因
 変えなければならないのは、古い制度や古い発想、古いものの見方、こういった所を変えていかないと、どうも地域社会、日本社会が変わらないのではないかと思う訳です。
 ところで、泉州についてですが、日頃いろいろなところでまちづくりに取り組ませて頂いていて、泉州地域は、遅れているといいますか、いろんな意味で大阪の北と比べられるわけですが、その原因を見てみるに、「自給自足」社会であるということが1つあると思います。昔から比較的ここは裕福な地域であったということで、比較的閉じた経済社会を形成してきた。自給自足の地域であった上に、歴史の重みもございます。それから距離的・位置的に国土軸から距離が少しある、ということも原因している。そういう中で交流もあまりなかった。歴史を振り返っても、織田信長が根来寺を焼き討ちをした時に、人の出入りがあった程度で、大きな人の出入りはそんなになかった、ということで、遅れた一つの原因がそういうところにもあるのではないかと思います。

(2)「後発のデメリット」は、実は「後発のメリット」
 しかし、「遅れた、遅れた」と言われますけれども、「後発のデメリット」という見方を変えて、これからはメリットとして「後発するメリット」という風に考えられるのではないかと思っているところでございます。
 関西空港関連の、国の方は施設整備大綱、地元の方は大阪府の地域整備計画ということで、一応基盤整備は進んできています。しかし、文化や学術については、少しまだ追いつきが足りないと思われます。『都市基盤整備』というのは、3点セットの中の1つで、他力でやって頂いている訳ですが、文化・学術となってくると、これは自力でがんばらなければならない、という部分が少し遅れているのではないかという感じが致します。
 ただし、遅れていることによって手つかずの所があるわけで、つまりまだ手つかずの自然がフルセット残っています。これをやはり大事にする必要がある。これは実はメリットの一つなんです。遅れていることによって手がつけられていない海も山も里も残っております。世の中を見るにつけ、人々の価値観といいますか、幸福感といいますか、そういうものが、もう一度自然を取り戻そう、自然を壊してきた都市の人達が「もう一度自然を取り戻したい」、ビルを壊してでも、川の3面貼りを壊してでも、「都市の緑」や「自然の河川」を復活させようというような考えになってきている中で、我々はまだ壊さずに置いている自然があるわけで、こういうところがむしろ「財産」だと捉えなおして、活用していく必要があるのではないかと考えております。先ほど歴史の重みについて触れましたけれども、泉州地域は、仁徳天皇に始まって古代からいろいろな歴史資産があります。南の方では、和歌山に高野山もありますし、そういう歴史遺産はたくさんあると思うわけですね。ただ地域の皆さんにとっては、ありきたりなので、あまり認識されてない。
「挨まみれだ」ですけれども、これをどう磨いていくかというところが大事だと思います。国会議員も観光に非常にカを入れおられて、もう一度再認識しようということで、がんばってらっしゃているところでございます。
「追いつけ追い越せ型」から「一周まわれば先頭だ型」と言うように、こういういい資源をうまく活用しながら、例えば『環境共生都市』みたいな取り組みができないものかという風な、大阪の北や大阪都心、他の大都市を追いかけるのではなく、もう少し違う価値観で環境共生都市というようなものを、先導を切って泉州で作っていけないかというようなことを考えております。

(3)地域づくりの発想の原点を「受動的発想」から「能動的発想」へ
 地域づくりの発想の原点を「受動的発想」から「能動的発想」へ変える必要があります。
 地域整備は3点セットということで動いてきました。成田空港の経験を踏まえた国の反省だったんですけれども、『空港計画』と『アセスメント』と『地域整備』のあり方の3つですね。これを受けて地元としては、基盤整備は非常に進んできておりますけれど、国の方では数年前に六省庁で広域国際交流圏整備計画ということで、一度地域整備をレビューして、「大体の地元の基盤整備は終わった」という認識でいます。これからのまちづくりというのはこの3点セットにしがみついて、受動的といいますか、あまり国だのみではだめで、むしろ「何をしてくれるか」から、「どう利用するか」へすべてをシフ卜する必要があると思います。一通りの基盤整備は整っているということで、「空港を作らせてあげるから何をしてくれる」という発想から、「この空港を地域のためにどう利用しようか」というようなことをもっと真剣に考える必要があります。
 空港と大阪市の間を人がどんどん行き来する訳で、そういう中間地点に位置する中で、比喩的に言えば、今の皆さんは「口を開けて待っている」という状況だと感じます。そうではなくて、もう少し手を伸ばして「頭上を飛ぶ鳥」といいますか、そういうものを網を持って手を伸ばせば、鳥が網にかかる、そういう感じを持つ訳で、どうして手を伸ばさないのか、「何をしてくれるか、何をしてくれるか」と口を開けて待ってるだけではなく、もう少し考えて頂きたい。それは産業面であったり商業面であったり、あるいはまた文化面であったりするわけですが、途中下車をするシステムを作れないのか、しかけを作れないのか、と考えを練っております。
 ともかく、もっと「待ち」から「攻め」へ、考え方を変えないと地域が発展しないと思う訳です。

(4)世界は「陸の道」「海の道」の時代から「空の道」の時代へ
 少し大きな話になりますけれども、世の中の見方、歴史の見方といいましょうか、世界は「陸の道」「海の道」そして「空の道」へと時代が流れていると思う訳です。空の道の時代というのは関空をイメージしてございまして、空の道の時代の中で、関空は「空の駅」ということで、時代は空の方に確実に流れている。日本も、世界がグローバル化、ボーダレス化になると、そちらの方に交通手段がシフトしていくという感じが見てとれます。交通手段の歴史を少し振り返ってみますと、シルクロード、新航路の発見等によって、人が行き来する交通の要所に都市が発達していきました。これは時代の法則と言ってもよく、そういうことが起こるわけですね。臨空都市地域である泉州地域は、これをうまくキャッチしきれていない、ということが言えるのではないかと思います。これも空の道といいますか、空の駅といいますか、その周辺で、どういう風に地域を整備するかが課題の一つだと思います。

(5)臨空都市地域にアジアの首都機能の集積を
 これもどうにかして実現できないかなと、いつも思うのですが、私自身、まちづくりというか地域整備のお手伝いを行っておりまして、全国総合開発計画が昭和37年10月に第一次が作られて、新産都市ということで、東北から九州まで新しい産業都市を作っていこうと計画され、今はもう第五次全国総合開発計画になっています。テーマを変えながら既に5回目にきております。この全国総合開発計画、出発は「大都市への出稼を防いで地方に織場を」という考え方で進められた国の政策です。もちろんある程度の職場は地方にできたんでしょうけれども、結局、どこが一番大きなメリットを受けたかというと実は首都「東京」であった。東京に本社がどんどん移っていった。そういう大きな流れがあります。地方の発達以上に首都機能が発達していった。それは、これまでの日本の中での一つの我が国発展の流れでしたけれども、アジアの中にそういうパターンを落とし込めないか、地方対東京というのが、東南アジア対関西・日本、というような相似関係が成立させられるのではないか、というようなことを少し思いまして、その中で臨空都市地域、特に本社機能を、日本の玄関口である関西国際空港周辺に集積させていく、アジアの中枢機能を立地させていくとなると、空港周辺で機能集積を図っていくのが、立地的にはいいかなと思うわけなんです。本社機能というとどちらかというと人や情報が動くわけで、空港の周りが適しているのではないのかと考えております。

(6)臨空都市圏地域は、実は「世界に最も近い日本」
 アジアや世界を見たときに臨空都市地域というのは、世界に最も近い日本であるという見方をすれば理解しやすいと思います。
 大阪府の企業局のお手伝いをしておりまして、以前、りんくうタウンの住宅地のところをお手伝いしたことがあります。当初に導入された、コンペ方式や、グループを組ませる方式など、大阪府の幹部の方は自慢されておりました。公平性が確保できるということや、知事などへの圧力を回避できるというメリットがあるんだよ、とおっしゃっていましたけれども、バブルがはじけて、「みんなで抜ければ怖くない」という感じで皆さん一緒に抜けられて、りんくうタウンが今の状態になった。そのときも思ってたんですけれども、りんくうタウンの売り込み先といいますか、御堂筋にある企業ばかりに焦点を当てていたわけです。
 りんくうタウンというのは世界に一番近い日本ですから、日本の出入り口ということですから、将来日本がアジアの一つの中心になっていくと考えれば、バブルの頃にりんくうタウンにもっとアジアや世界の企業を誘致する努力をすべきであったという風に思います。台湾の企業も少し打診があったように聞いておりますけれども、がんばって当初からアジアの中心機能を形成すべきであったのではと。悲しいかな企業局長が台湾へトップセールスに行かれてなくなられましたけれども、もっと早くからやっておく必要があったのではないかと。そういうことをすることこそ、日本のこれからの生きる道というぐらいのスケールで考えてもいいのではないかと思います。

(7)「ハブ空港」ではなくて「ハブ都市」を!
 「ハブ空港」ではなくて「ハブ都市」を作る必要があります。これもいつも思っていることでございまして、最近テレビでe-commerceで砂漠の中に企業の工場用地を探しに行くという広告がありまして、「これだ」と思いました。『ハブ空港は砂漠の真中でもできる。』要するにそこで飛行機、貨物、旅客の集散をするわけで、砂漠の中に空港があってもそれはできるわけです。ハブ空港にしたいというのは、空港の経営上の問題で、空港の経営者がまず一義的に考えなければならないことです。我々がもっと考える必要があるのは、空港を利用してヒンターランドであるこの泉州地域をどのように発展させるか、都市機能をどのように集積させるか、ここにもっと頭を使う必要があるのではないかと思います。空港が中継点ではなく、起終点であるという考え方で、その周りにどういう都市機能を集積させるかというようなことが、地元にとって大事なところであると思います。こういったことは前の大阪府の空港対策室長である綾田さんとは非常に意見が合ったところでございます。もう異動されましたけれども、そういう議論をさせていただいたことがございます。

(8)「地域に居住し、地域に愛着を持ち、地域から発想し、そして地域をリードする人」を集積させたシンクタンクの設立を!
 泉州の問題について、日頃いろいろ思っていることを言わせていただいておりますが、こういったことを進めるにあたっては、シンクタンクといいますか、地域に根を下ろした頭脳集団が必要である。それは人脈のある人とか大企業のOBとかではなく、時代の流れを体感できるそういう人、地域のことを肌で知っている人を、地域に引っ張り込む必要がある。もっと大きなスケールで、世の中の流れを鳥瞰的に見れるという素養のある人を地域に引っ張り込む、あるいは地域で育てる必要がある。そういう意味での受け皿となるシンクタンクです。日本ではシンクタンクというと銀行などが母体になっているものがほとんどですけれども、いわゆるシンクタンクというとアメリカでは国防総省で一番最初に戦略を作るためにシンクタンクが作られました。それがそもそもの発祥だと聞いておりますけれども、そういう戦略だとか地域のこれからを考えていく方たちが集まるシンクタンクを作っていく必要があると思います。お金でも人脈でもないんですね。時代の流れを体感できる人が、時代が変わるときには要望され配出される、と私はそう感じていえす。

(9)その他あれこれ
 私が泉州地域のお手伝いをさせて頂いている中で、もっと個別に思っていることを3つほどお話します。まず、コスモポリス、特に和泉コスモのお手伝いをさせていただいて、そのキーワーがは「人・もの・金」と言われるんですが、私はコスモに関する限りは「人・人・人」であると言ってきまして、この場合は「技術者」なんですが、そういうキーワードで、コスモを作り上げていけないかと思います。世界の技術者を日本の国際空港周辺に集める、あるいは世界との出入り口のところにそういう建物を作る、と。和泉市の稲田市長さん(当時)とお話させていただいたときに、そんな議論をしている時、少しお金も出して頂いたんですけれども、ある新聞に科学技術庁が研究開発施設を作りたいという記事が載りまして、早々に、科学技術庁へ電話して、資料を取り寄せて市長にお見せしたら、ぜひ誘致したいということで、今「ハイテクプラザ」という施設になっております。
大阪府がそれを支援するために、レンタルファクトリーというか貸工場を作るということでやってございますけれども、そういう、人を集めた拠点みたいなものを作れないかと考えています。
 泉佐野コスモについても、個人的に考えておることがございます。大阪府の商工部の方にも提案しているんですが、三セク問題から「今はそっとしておこう」という感じなんですが、泉佐野コスモには個人的には『関西迎賓館』を作りたいと思っております。大阪空港には、万博公園に迎賓館がありますけど、りんくうタウンが空港の前座敷だったら、泉佐野コスモポリスを奥座敷にして、空港の前でそういう人をレセプションする、公的でも民間企業の迎賓館でもいいと思うんですけれども、空港の真近くで、フライトの時間を気にせずに、そういうところでゆっくり日本の風情や伝統や文化を味わって頂いたり、会議なども行って頂けるような迎賓館を作れないかなあと。跡地利用については、公園ということで考えていらっしゃるようなので、公園施設として作れないかなと、個人的に思ってございまして、そういった関連資料を集めていると、京都に先に迎賓館が作られるということで、少し先を越された感を持っています。
 また、阪南2区についてですが、岸和田市域で埋め立て造成されている空港に一番近い島ですけれども、私のイメージの中では「長崎の出島」に重なるものがあります。我が国が鎖国していた江戸時代に、文化などいろんなものの出入り口になった長崎の出島というのがありましたけれども、空港に一番近い出島が阪南2区だと思う訳です。日本全体を一挙に開国するのではなくて、こういうところで実験島といいますか、いろんな貿易・関税とかの商売(南港やりんくうタウンではFAZということでもやってございます)が、もう少し大規模に実験できないものか、今のわが国は経済鎖国と言っていいと思うんですけれども、この実験島で日本本土に持ち込む前に、ここで世界の人が自由に商売しても何してもいいよ、というような実験ができないかなと思っております。
 最後に、もう一つ思っていることなんですが、「空の港」の周辺に21世紀の「国際居留地」の建設を提案したいと思います。海の港である、神戸や横浜には明治に開国したときに外国人街ができました。ということで関西国際空港の周辺に新しい時代の居留地みたいなものができないのかなと考えております。神戸市は、開港100年祭をやっておられましたけれども、関西国際空港周辺にもそういった現代版居留地ができれば、もっと世界との交流が盛んになるんじゃないかなと考えております。

日頃の思いの若干を少し述べさせて頂きました。
ありがとうございました。